こんにちは、とまじゅです。
先日、長良川でルアーを投げる練習ができそうな川を探していたら、偶然、遺跡群を発見したので立ち寄ってみました。
岐阜県関市にある、弥勒寺官衙遺跡群。読み方は“みろくじかんがいせきぐん”。
アクセス
関観光ホテルに隣接しています。
長良川が折れ曲がる、関市の小瀬峡谷と呼ばれる地に、弥勒寺官衙遺跡群はあります。
古代に地域をまとめた勢力の姿をうかがわせる遺構です。
豪族ツムゲ氏の氏寺という弥勒寺や役所の跡が残る遺跡。
ツムゲ氏は壬申の乱の功臣であり、都の政権と結びつきながら地歩を固め、地域の拠点築いたとみられます。
山との間の河岸段丘にある遺跡群を歩いてみました。
辺りは公園とされ、散策路から郡庁院や正倉院の整然とした造りが見られます。遺跡群は広く、天気の良い日の散歩に最適です。
遊具はなく、ボール遊びができる広場ではないので、子どもと遊ぶ雰囲気ではないですが、歴史のロマンを感じながらのんびり歩くには最適な公園です。
眼前の長良川は小瀬鵜飼の舞台であり、日本画家の川合玉堂は、遺跡群のある右岸からみた風景をモチーフに鵜飼を描いた絵画を残しています。
弥勒寺跡から山中に続く小道を行くと、途中に江戸時代の修行僧円空の墓がひっそりとあります。
円空寺を弥勒寺を再興し、生涯をこの地で終えました。微笑むような円空仏が目に浮かびます。
弥勒寺跡と弥勒寺東遺跡を合わせて範囲が国史跡に指定された「弥勒寺官衙遺跡群」です。律令体制を支えた地方官衙遺跡の典型として、全国に知られています。官衙とは古代の役所という意味です。
長良川の中流域は『古事記』や『日本書紀』に登場する古代豪族ツムゲ氏 (牟義都、牟下津など様々な表記がある)の勢力基盤と考えられてきましたが、遺跡群の発見によって、ここがその本拠地であることが明らかになりました。
672(天武元)年に起きた皇位継承をめぐる壬申の乱では、身毛君広(つむげのきみ・ひろ)が活躍しました。美濃の兵力を結集して大海人(おおあまの)皇子(後の天武天皇)を勝利に導いた功績によって、郡を治める役人として地位を固めたツムゲ氏は、中央の援助を得て氏寺(弥勒寺跡)を建立し、奈良時代(8世紀)に入ると武儀郡の役所(弥勒寺寺東遺跡)を整備したのです。水運による物資の集積と流通に地の利を得たこの場所で、地域の政治・経済・文化の中心として、平安時代中ごろ(10世紀前半)まで栄えました。
関連する遺跡として、祭祀の跡が発見された弥勒寺西遺跡、古墳時代後期の方墳で、ツムゲ一族の墓と考えられる池尻大塚古墳があります。
たまには将来への不安や、小難しいことは考えず、のんびり散歩もいいですね。
ではまた!!