こんにちは、とまじゅです。
先日、出かけた先でたまたま見つけた「天狗谷遺跡」へ立ち寄ってきました。
車で走っていたら道路沿いに「天狗谷遺跡」という看板を見つけ立ち寄りました。
アクセス
駐車場から歩いてすぐのところに階段があり、上ると遺跡があります。
天狗谷遺跡とは
市指定史跡 天狗谷遺跡 各務原市須衛天狗谷2403
昭和59年8月から翌年の昭和60年8月にかけて、ここ天狗谷遺跡で発掘調査が行われました。
その結果、須恵器の窯跡が7基、灰釉陶器の窯跡が1基、竪穴式住居が1基、横穴式石室をもつ円墳が2基発見されました。
そして、なかでも保存状態が良好であり、学術的にも貴重とされる須恵器窯跡(2号窯)と灰釉陶器窯跡(1号窯)、円墳(2号墳)がそれぞれ現地において保存されることになり、各務原市北部地域の自然と文化財に親しむ拠点的施設としての役割も併せて、平成4年2月までに保存工事、および修景工事を完了し、天狗谷遺跡保存施設として整備されました。
天狗谷遺跡が所在する各務原市須衛町は「スエ(陶)」の名称が示すとおり、今から約1400年前の古墳時代から約700年前の鎌倉時代にかけて、「焼きもの」の一大生産地でした。今でも奈良・平安時代の須恵器の窯跡が多く残っており、かつて盛んであった当時の様子を偲ぶことができます。
ところで、近年の遺跡分布調査によれば、このような窯跡の所在は、ここ須衛町だけにとどまらず、各務原市の北部全域から関市の南部、そして、岐阜市の東部にかけて、120か所以上の場所に広く分布していることが明らかとなってきました。
現在では、この古窯跡群の名称を、その中心地である須衛町にちなんで「美濃須衛古窯跡群」と呼んでいます。
この美濃須衛古窯跡群については、平安時代中期の延長5年(927年)に編さんされた「延喜式」という文書のなかで、当時、美濃国から多量の陶器(須恵器)を朝廷や伊勢斎宮寮に納めていたことが記されています。しかし、この陶器を生産した地域が、岐阜県東農地方を中心とした現在の窯業地域ではなく、各務原市を中心とするこの美濃須衛古窯跡群であったことが、近年の発掘調査の進展によって明らかとなっています。
美濃須衛古窯跡群は、平安時代後期(約900年前)になると須恵器の生産が衰退し、新しい焼きものである灰釉陶器が多く焼かれるようになりました。天狗谷遺跡でもこの灰釉陶器がさかんに焼かれましたが、平安時代の末期(12世紀)になるとその窯も廃絶してしまいました。
こうして、500年間にわたって続いてきた焼きものづくりの伝統はこの地を離れ、ふたたび戻ることはなかったのです。
実際に言ってみて
天狗谷遺跡に行った日が平日の雨の日だったためか人は誰もいませんでした。
駐車場も完備されています。
公衆トイレもありました。
メインの遺跡は建物の中にあり鍵が買われているため入ることはできません。
入り口には見学者日誌も置かれていました。
金網越しに外から見ることができます。
2号墳は実際に入ることもできました。
遺跡以外には何もない静かなところでしたが落ち着いた雰囲気が好きな僕はとても癒されました。
すごくマイナーなスポットですが遺跡や古墳好きの方は行ってみてはいかがでしょうか。
ではまた!!