こんにちは、とまじゅです。
今回は岐阜県岐岐阜市三輪にある【三輪神社】へ行ってきました。
車で走っていると、大きな赤い鳥居がありました。
赤くて大きな鳥居の存在が以前から気なっていて、いつかはどんな神社か見てみようと思っていました。
立ち寄ってみるとなかなか立派な神社でした。
今回はそんな【三輪神社】について紹介しようと思います。
三輪神社について
建立時期は不明。
赤い大きな鳥居が目につきます。
三輪神社は、美濃国神名帳に山県郡正二位美和神明と記載があり、大和国三輪大社を江州志賀群と濃州山県郡に祀ったと伝えられています。永禄年間(1558~1569)に、近松光安保が願主となって社殿を建立し、現在地に遷座したといわれています。
三輪神社には、社殿、石鳥居、稚児山の芸能、木造神像、スギの五つの文化財があります。
この神社には五つの文化財があるのには驚きました。
三輪神社社殿
永禄年間に建立された社殿ですが、やがて破損したため、元禄9年(1696)7月に再建されたのが現在の本殿です。
再建の際には、建立当初の様式を踏襲したといわれ、室町時代の様式がみられます。
構造は、桁行3間(約5m45cm)、梁間2間(約3m81cm)で、入母屋造り、桧皮葺で、1間(約1m81cm)の向拝が付きます。
本殿に祀られている木造神像は五躯あり、いづれも素朴な神像です。
三輪神社石鳥居
参道にある石鳥居は明神鳥居といわれる形式で、銘文によると石工は泉州日根群箱造村(現在の大阪府阪南市付近)の藤原永次で、寛文9年(1669)に建てられています。山県用水を受益する村々が水源を守る当社に寄進したものです。
材質は花崗岩で、高さ5m30cm、柱の周囲1m48cm、幅(柱の芯から芯まで)4m40cmです。市内の石鳥居としては古く、江戸初期の古い形式をよく表しています。
三輪神社稚児山の芸能
稚児山の芸能は、三輪神社の例祭である三輪まつりの中心となる行事で、4月第一土曜日夜の試楽と翌日曜日の昼の本楽で演じられます。
稚児山とは、神社境内に作られた高台状の舞台、もしくは、その上で稚児たちが舞を舞うことを指します。こうした稚児の舞は、中世の芸能が残されたものだと考えられます。化粧した稚児が神聖を保つため介添えの父親または親族の肩車で神社に渡ることなど、舞そのものだけでなく、それを支える古くからの取り決めや習慣が残る民族性豊かな行事です。
三輪神社のスギ
岐阜市天然記念物 昭和51年12月7日指定
スギはスギ科の常緑針葉樹である。日本におけるスギの天然分布は、青森県西津軽郡矢倉山を北限とし、本州から九州に広く分布し、九州の屋久島を南限地とする。
スギの名は、真っ直ぐの木「真木」に由来する説、上に進みあがる木「進木」に由来する説等、諸説存在するが、まっすぐに天へ向かって伸びていくその姿は、古くから神の宿る木として人々の信仰と深い関りを持ってきた。
大鳥居の傍らに立つこのスギは、樹高薬13m、目通り幹周囲3.95mの大樹である。
アクセス
三輪神社は岐阜市ではありますが、岐阜市の外れであり、周囲の道が混雑することはありません。
ドライブでもツーリングでも快適に走れる道です。
三輪神社へ実際に行ってみて
道路沿いの赤くて大きな鳥居は、インパクトがあります。
ですが、実際に岐阜市の文化財となっていて由緒があるのは、大きな赤い鳥居ではなく石鳥居の方でした。
綺麗な拝殿
拝殿は改修されたばかりなのか、とても綺麗でした。
青空と木の緑に白壁の拝殿はとても綺麗でした。
神社を流れる用水
神社の前には用水がありました。「中濃用水」という用水でした。
写真では分かりにくいかもしれませんが、綺麗な水が流れる用水で、川魚が群れで泳いでいました。
神社敷地内の歩道
中濃用水の水を利用して、神社の敷地内に鯉が優雅に泳いでいました。
水の上に歩道が設置されており、短い距離ですが鯉を見ながら歩くことが出来ました。
一部には休憩できるよう屋根付きのベンチがあります。
のんびり泳ぐ鯉を見て癒されました。
写真
周囲の立ち寄りスポット 周囲の観光スポット
- 岐阜ファミリーパーク
- 白木恒助商店(古酒が販売されています)
- 道の駅 武芸川
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