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国指定史跡【琴塚古墳】岐阜県岐阜市

こんにちは、とまじゅです。

 

 

1月23日にFP3級の試験を受けてきました。

その時に、試験会場の近くにあったので、ふらりと立ち寄ったのが「琴塚古墳」です。

 

岐阜県岐阜市琴塚にある琴塚古墳は昭和9年に国の指定史跡となっています。

 

 

アクセス

 

 

実際に行ってみて

琴塚古墳は、草木に覆われて形がハッキリとは分かりませんが、古墳のふくらみは確認できます。

また、柵で覆われていて、実際に登ったりすることはできません。

なので特に古墳の史跡や開口しているところを見ることはできませんでした。

 

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周囲は、琴塚公園となっていて、わずかに遊具があります。

日曜日に行きましたが、天気が悪かったせいか、僕以外の人はいませんでした。

静かな住宅街の中にある公園です。

 

古墳の周囲は歩けるようになっていて散歩にはよさそうですね。

ですが、散歩コースとして車で向かうようなところではありません。

 

古墳が好きなら行ってみる価値はあると思います。

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車は2台ほど停められるスペースがありました。

 

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琴塚古墳についての説明

 

現地に、古墳の説明書きがありました。

琴塚古墳     

国指定史跡 昭和9年(1934)年8月9日指定

 

 琴塚古墳は、全長約115mの岐阜県内で3番目の大きさを誇る前方後円墳です。

周辺には各務原市にかけて4つの前方後円墳で構成される古墳群がありましたが、現在は琴塚古墳と柄山古墳(各務原市)のみが残っています。

 前方後円墳とは、前方部と後円部の墳丘を組み合わせた形の古墳で、古墳が作られた当初は後円部が大きく・高く作られましたが、次第に前方部のほうが幅広く・高く造られるようになります。墳丘には段々状のものもあり、段の数は被葬者の格式と関係があると考えられています。

 琴塚古墳は前方部と後円部がほぼ同じ幅であり、この形から5世紀頃に造られたと考えられ、墳丘は樹木に覆われ明瞭ではありませんが、格式の高い三段に築かれていた可能性があります。また、周囲には岐阜県内では珍しい二重に巡らされた堀が造られました。現在外堀はほとんどが畑や道路の下に隠れていますが、外堀を含めた範囲が国の史跡の指定されています。

 被葬者は、伝承では景行天皇の妃である五十琴姫命であると言われていますが、明らかにはなっておらず、埴輪や副葬品などの遺物もほとんど発見されていません。しかし、全国の同じ時期の古墳では鏡や武器・武具などの副葬品が多く見つかっており、琴塚古墳でもこのようなものが納められたのかもしれません。

 現在、琴塚古墳は琴塚顕彰協会や地元の人たちによって保護活動が行われ、大切に守られています。

 

史跡 琴塚古墳

位置 岐阜市長森左衛門新田

面積 279アール

指定 文化財保護委員会

   昭和9年8月9日

形状 平地に築かれた二重の周濠をもつ前方後円墳である

   墳丘の全長115メートル

   後円部の直径69メートル、高さ10.5メートル

   前方部の巾74.2メートル、高さ7.8メートル

   内濠の巾約18.2メートル、内堤の巾14.5メートル、外濠の巾7.3メートル

付記 この古墳は柄山古墳などと共に前方後円墳群を形成しこの地域には約1500年前

   に有力な豪族が栄えていたことを推定させる 古墳時代中期のものとして代表

   的なものである。

                      昭和38年5月 岐阜市教育委員会

 

 

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おわりに

今回は琴塚古墳について書いてみました。

たまたま立ち寄った古墳でしたが、ここもとても静かな場所で穴場的なスポットだと思います。

特に古墳を観光資源としているわけでもなく、人の気配も少ない場所でした。

 

古墳好きな方や、静かな公園で一人になりたい方にはおススメです!

 

 

ではまた!!