こんばんは、とまじゅです。
先日、岐阜県山県市の神崎川の最奥にある、姥神社を目指してバイクで走りました。
この時、道沿いに大きな観音像があったので立ち寄ってみました。
アクセス
国道418号線から県道200号線へ入り、神崎川沿いの県道200号線を走っていると現れます。
実際に近くまで行ってみると、とても大きな観音像です。
本体だけで8メートル、全体で17メートルもあるそうです。
観音像に近づいてみると「回廊十二支巡り順路」という表示がありました。
どうやら、観音像の設置されている下の空間をくぐり抜けられるようになっているようです。
実際に入っていると…
中には一つだけ扉あり、そちらの空間にはなんと…!
賽銭を回収する部屋でした。
地上の賽銭箱に入れられたお金を回収する部屋です。
入り口の扉は壊れていて空いたままです。賽銭が貯められているボックスも鍵がなく開けれる状態でした。
☝そっと閉めておきました。
かつてはこの十二支巡りの地下空間もライトアップがされていたようです。
今では照明は壊れ無残な姿です。
この真っ暗な空間をスマホの明かりだけで通るのはとても怖いです…
曲がった先に見てはいけない何かがあったら…
意を決して進むとコウモリが居て、びっくりして外へでました。
一人で「こえぇー」って言いながら外へ逃げました。
かつてはライトアップもされていたのでしょうか。
草木に覆われた照明がありました。
観音像のすぐそばに、観音像についての説明が石板に掘られていました。
美山平和観音の由来
この観音像は、美山平和観音と称する。
1991年10月吉日、武藤久次が平和を祈願しこの地に建立した。韓国で8ヶ月かけて制作され、この地で2ヶ月かけて同年12月吉日に完成をみた。
材質は御影石で本体だけでも8メートルある大観音像で、町の中心地を眺めるお姿は誰にもやさしく語りかけ、美顔の微笑みは町の平和と地上のあらゆる平和を願っておられるのである。
頭上に子供を有し、左手に持たれるは蓮花。全体で17メートルの高さを誇る今世紀最大の石像慈母観音菩薩である。
八部衆の由来
八部とは仏教にある用語で、人間ではなく八種類の神通力がある仏様の一族であり、仏法を守護する八部の異類である。
八部衆とは、龍(正面)、天(右回りへ順次)、迦褸羅カルラ、緊那羅キンナラ、阿修羅アシュラ、乾闥婆ケンタツバ、魔候羅伽マゴラカ、夜叉のことである。
龍
龍は龍神と称する。
仏教と龍は関連部深く説話も多い。昔、インドの人たちは龍を大変崇拝し、水中の生命体の中で龍の能力が一番と信じていた。徳が高く崇拝でいる人を敬称する時、龍像リュウショウ(高僧のこと)という言葉を使っていた。多くは水中な住し、雲を呼び雨を降らすといわれ、五穀の成熟を果たしていたのである。
天
天は天神と称する。
仏教で天神は人間よりも生命が永く、福を享有すると言われ、諸楽の集まるところの天界にあって仏法を守護するものである。
迦楼羅は金翅鳥キンシチョウ(黄金で作った鳥の翼の飾りのこと)とも称する。
龍を常食し、一日一匹の龍および、500匹の子豚を食した。形態は鳳凰のように美しく羽が大変大きい。迦楼羅を主体にする修法は、求雨、治病、怨霊即滅などである。
緊那羅は歌神、または音楽神とも称する。
歌と舞を好む帝鐸天の楽神の一人で乾闥婆と
共に楽部を司った音楽天である。
阿修羅
阿修羅は非(A)天(SURA)または無酒神とも称する。
阿修羅は大変特異な神で男になるときは醜悪な姿で、女になる時は極度に美しい。戦闘を事とした鬼類であったが仏教に取り入れられてからは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上道)の中で修羅道の神となり、仏法を守る役を果たしたのである。
乾闥婆は変化無双で香神とも称する。
帝鐸天の雅楽を司る楽神のひとりで、香りだけを食して飛び体からはいつもよい香りを出していた。この神王には十五神があって、胎児や赤んぼうたちを守っているのである。
摩候羅伽
摩候羅伽は地龍または無足腹行の神とも称する。
大きな大蛇オロチの神でその形は人身にして蛇首である。
夜叉
夜叉は仏教の中にある鬼神で薬叉とも称する。
人を害して食するが善人には害を与えない。地上または空中に住み、仏教では正法守護神としてあらわれ衆生界守護しているのである。
どうやら韓国と縁のあり観音像らしいです。
観音像の周囲も割と手入れされていて綺麗でした。
ここは瀬見峡温泉の跡地であり、1991年に温泉が発見され2001年に廃業しています。
近くにはモノレールまであったようです。
バブル景気につられて建設されたのでしょうか…
家に帰ってからこの観音像や瀬見峡温泉について調べてみると、昔、親戚のおじさんに連れてきてもらったことがありました!
かつて自分の訪れてた場所が廃業していると、なんとも言えない切ない気持ちになりますね。
一人でのツーリングはこうした主の目的とは違った、道中で見つけた先にフラッと立ち寄れるのがいいですね。
ではまた!!