こんばんは、とまじゅです。
先日、岐阜県山県市にある桔梗塚(明智光秀のお墓)へ行きました。
この日は明智光秀のお墓を目的にしていたのではなく、適当に車で道を走っていて、偶然たどり着きました。
アクセスと駐車場
明智光秀のお墓は、個人の土地と思われる場所が駐車場になっていました。
ユニークな表示がされていて地味に笑えてきます。
ちなみに今回僕は、落合博満の駐車場に停めていました。
ドラえもん と思われる絵も書かれていました。
思わずクスっと笑えます(^^♪
明智光秀について
明智光秀に関してブログを書くのは長くなり大変なので、リンクを貼っておきます。
明智光秀のお墓について
明智光秀公の墓(古文書を要約)
この地、中洞古屋敷白山神社の一角にある高さ106㎝の石塔と、高さ112㎝の五輪の塔は、まさしく明智光秀公の墓なのです。
天正10年(1582)山崎の合戦で羽柴秀吉に討たれ死んだのは、光秀の影武者荒木山城守行信でした。
光秀は荒木山城の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に伝えんと荒木の「荒」と、恩義を深く感じの「深」で、自らも荒深小五郎と名乗り西洞寺の林間に隠宅を建て、尾寿丸と共に住んでいました。
その後、光秀は雲水の姿となって諸国遍歴に出たのですが、18年後の慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の時、東軍に味方せんと村を出発しましたが、途中根尾村の藪川の洪水で馬と共に押し流され、溺れ死んだため死骸を山城守の子吉兵衛が持ち帰りこの地に埋葬しました。
以来この地には荒深姓が多く、今でも年2回の供養祭を行っています。
小さな木製の橋を渡って…。
階段を上って行くと…。
お墓です。
石塔がいくつもありますが、☝の写真が明智光秀のお墓です。
うぶ湯の井戸跡
明智光秀の産湯の井戸
明智光秀の母が、産湯を汲んだとされる井戸です。
現在も使うことができ、白山神社の浄水はこの井戸から汲み上げています。
井戸は 蓋がされ中は覗けませんでした。
☝この浄水は 産湯の井戸からの水ということですね。
白山神社
白山神社のお社
亨禄3年(1530年)に建て替えられたという記録が残っています。
山道を歩きます。
写真じゃ分かりにくいですが結構 急な山道を歩いて行きます。
今日はサンダルできてしまっていたため 山道はとても 歩きにくかったです。
訪れる際は 歩きやすい靴がいいと思います。
1630年に建て替えられたとありますが この後ろではなく 過去の話でしょうか とてもこのお社が年前に建てられたにしては綺麗だと思います。
白山神社の御神木
白山神社のすぐそばにある ご神木です。
樹齢は定かではないが古くからたくさん神社を見守り続けている 御神木。
写真では木の迫力は伝わりにくいですが、立派な木でした。
終わりに
5月になり 行楽シーズンが訪れました。
今回訪れた 明智光秀のお墓は少し分かりにくいところにありますが、静かな山で、なぜか心が安らぐ雰囲気でした。
年に2回供養祭が行われている様ですね。
ではまた!!