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鹿児島県南さつま市 終戦間際の4ヶ月しか使われなかった幻の特攻基地【万世特攻平和祈念館】 

こんにちは、とまじゅです。

 

鹿児島県の特攻隊記念館といえば、知覧が真っ先に思いつく人が多いと思います。

今回の鹿児島県の旅行でも、知覧にある特攻平和会館へも行きました。

今回の旅行では、まだ行ったことのない万世特攻平和祈念館へ必ず行こうと意気込んで向かいました。

 

 

万世特攻平和祈念館について

昭和19年の終わり頃、陸軍最後の飛行場が建設されました。

しかし、終戦間際のわずか四ヶ月しか使われなかったので『幻の特攻基地』と言われています。

そしてこの男性 特攻基地から17歳の少年飛行兵 を含め201名の特攻隊員が祖国を護るために沖縄に出撃していきました。

特攻隊員には遺骨はありません。

しかし、この世に書き残した遺書や残された遺品があります。

残された品々は時代を越えて、今に語りかけます。

特攻隊員の残された遺書や遺品、血書など貴重な資料が展示されています。

 

万世特攻平和祈念館【2021年4月リニューアルオープン】 | 南さつま市観光協会

 

平和祈念館設置にあたって

この平和祈念館は、かつて熾烈を極めた太平洋戦争の末期、本土防衛、沖縄決戦の第一線基地として建設された「万世陸軍飛行場」の一角にあたり、ここから多くの隊員たちが、祖国護持の礎たらんと若き至純の使命感と情熱をもって、南溟の大空へ飛び立って征った悲痛な思いでの地である。

特攻隊員には遺骨はない。しかし書き残されたものはある。航空隊員にとって爆弾を抱き最後に飛び立った基地「万世」が戦死の地なのである。この地に、かつて大空に憧れ飛んだ懐かしい複葉練習機を型どり、全国の人びとの協力を得て建設された平和祈念館に、特攻隊員の遺書や遺影を安置し、展示することは誠に有意義なことというべきである。

今日の日本の平和と繁栄は、散華された英霊の犠牲の上に築かれたものであり、平和は地と涙によってもたらされたものであること正しく後世に伝えていくことは、残された私たちの責務であると信じ、平和への祈りを新たにしたいものである。

 

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万世特攻平和祈念館の基本情報

住所:鹿児島県南さつま市加世田 高橋 1955番地3

開館時間:午後9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)

料金:大人 310円、小人 210円

駐車場:有り(無料)

 

 

アクセス

 

 

万世特攻平和祈念館へ実際に行ってみて

残された遺書 や遺品などを見て、平和とは何か、命とは何か⋯僕にとっては、一生答えを出せない気がします。

平和祈念館は2階建てとなっており、1階には鹿児島の海から引き上げられた、本物の零式三座水上偵察機がありました。

2階は特攻隊員の遺影や遺書、遺品などが展示されています。

1階は写真撮影が可能ですが、2階は写真撮影禁止です。

 

 

零式三座水上偵察機

展示されている飛行機は、実際に海から引き上げられた機体で、レプリカの飛行機を見た時とは違、 何とも言えない複雑な感情がこみ上げてきました。

飛行機が好きなので、原寸大のレプリカがあると『この飛行機かっこいいなぁ』という思いで見たりしますが、さんに使用された機体を見ると、平和について考えなければならないという気持ちにさせられました。

平成23年には、重要航空遺産に認定されています。


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特攻隊員の遺書や遺品

祈念館2階にはの特攻隊員の家族や、当時の戦友たちから寄贈された 遺書や遺品、血書などが展示されています。

2階は写真撮影禁止となっているので、当然ここに載せる写真も撮りませんでした。

特攻隊員の遺書を読み、どんな思いで飛び立って行ったのかと思うと、涙が溢れてきました。

本当に平和の大切さを思い知らされました。

 

 

屋外にある石碑や灯籠など

万世特攻祈念館の屋外には、いくつもの石碑があります。

特攻隊を始め、殉職者に対する慰霊碑や祈念館が出来るまでの軌跡などが説明されていました。

 

ここは、我が国三大砂丘の一つに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋戦争の戦局が急をつげつつあった昭和18年の夏から19年の末にかけて本土防衛、沖縄決戦の軍航空基地として建設された「萬世陸軍飛行場」の一角にあたる大戦の思い出の地であります。

昭和20年3月から燃料を集積、3月末から飛行第66戦隊が配置され、さらに同年4月初第6航空軍作戦計画によって特別攻撃隊及びその掩護と防空の飛行第55戦隊も配置され特攻基地となり、沖縄作戦の最も熾烈を極めた7月下旬までに、ここ万世基地から飛行第66戦隊及び特攻振武隊の諸隊、これを掩護する飛行第55戦隊の若き勇士が祖国護持の礎たらんと勇躍沖縄方面へ出撃し、南海の大空に散華したのであります。

終戦後幾星霜、今では当時の面影として、営門と水槽を残すのみとなりましたが、ここに立って松風や潮騒を耳にしながら「祖国のため」を合言葉に、征着て帰らざる壮途についた紅顔の英姿をしのびつつ平和へ誓いを新たにしたいものです。

 

特攻隊員の石碑『よろずよに』

屋外にはいくつも石碑などがありましたが、一際目を引くのが『よろずよに』と、書かれた石碑です。

特攻隊員は万世飛行場から、沖縄へ飛び立って行った為、沖縄へ向けて建てられています。

石碑にある隊員は、鹿児島から故郷である東を見ています。

石碑にある『よろずよに』という言葉は『万世』の読み方を変えて『よろずよ』と読みました。

『◯◯に』と使用される『に』を繋いでできた言葉だそうです。

『永久に』といった意味合いです。

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陸軍万世特攻飛行場建設時殉職者

碑文

この地万世に昭和18年5月頃から陸軍萬世特攻飛行場の建設が始まり多くの人が動員され、昭和20年3月29日に国防婦人部阿多地区勤労奉仕隊13名が従事された。

午前8時30分頃爆撃があり、避難した新川の林様方防空壕が直撃団を受け、全員が尊い犠牲者となられました。

ここに、その犠牲者のご冥福を祈り、殉職者のお名前を刻し、恒久平和の願いを込めて建立する。

平成24年

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雲南溟の碑

昭和35年不肖の初起により、「太平洋戦争旧万世陸軍航空隊戦没者慰霊碑建立期成会が」が昭和47年5月29日「よるずよに碑」を建立。その後更に「万世特攻遺品館」の建設を提唱し、万世特攻慰霊碑奉賛会と共に募金運動を行い地元加世田市民、ご遺族を始め、心ある全国の有志からの一億円を越ゆる募金を基に加世田市当局の事業として、ここに「万世特攻遺品館」たる「平和祈念館」の完成を見るに至れるり。

依って、これが記念にこの碑を建立するものなり。

平成5年5月23日

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灯篭に刻まれていた詩

「空征かば」

「緑小島の故郷よさらば白いハンケチ振る手よさらば

きりっ飛行帽に野の花挿して ああ空は男の征くところ」

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特攻隊員の詩が刻まれた石碑

世界の恒久平和を祈る

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屋外に展示されているプロペラ

このプロペラは自衛隊で昭和37年から現在でも使用されている初等訓練用単発練習機のものです。

戦局の悪化となった昭和19年頃完成した万世飛行場に配備されていた陸軍3式戦闘機(飛燕)のプロペラとほぼ同型ものといわれております。

昭和54年7月

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周囲の道

周辺の道は2車線の広い道が多く、土曜日でしたが 交通量も少なく、信号もほとんどありません。

なので、ドライブやツーリングをするなら気持ちよく走る道でした。

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