妻にダムを見に行こうと誘うと「ダムに何があるの?行っても楽しくないじゃん」と断られ、妻にダムの魅力を理解してもらえない、とまじゅです。
こんばんは。
はじめに
僕はダム好きなんですが、その理由は、他の建造物と比べ圧倒的なスケールです。
構想期間を含めると、何十年もの歳月を経て出来ています。
更に、故郷を失う人たちの思い、郷愁を思うとなんとも言えない、気持ちにさせられます。
徳山ダムに関しては、映画「ふるさと」で美しい故郷の風景や人々の思いが描かれています。
そこで、今回は徳山ダムについてブログを書いてみました。
アクセス
徳山ダムの概要
揖斐川の上流、揖斐郡揖斐川町にある徳山ダムは、総貯水量が6億6千万立方メートルと日本一です。
徳山湖と言われる湖面の下には、かつて人々の暮らす村がありました。
今年は、かつての村一体に水が入った試験湛水の開始から15年となります。
運用までに紆余曲折あった、このダムが果たしている役割と歴史をブログに書こうと思います。
徳山ダム構想
徳山ダムの構想は1957年、揖斐川上流域が電源開発促進法に基づく調査区域として指定されたことをきっかけに、電源開発株式会社が発電用ダムとして実地調査をしたことで持ち上がりました。
その後、計画は当時の建設省に多目的ダムとして引き継がれました。
2000年に本体工事に着手、2008年に完了して運用が始まり、現在は独立行政法人の水資源機構が管理しています。
徳山ダム建設の目的と機能
このものすごく途方もない貯水量は静岡の浜名湖2つ分にも及びます。
機能は主に河川流量の管理と発電。
豪雨時には洪水の調節として100年に1度の事態も想定し、下流にある横山ダムと共同で流量を抑え、河川の流量が基準を下回っている際には貯めている水を放出し、川の流量が減ることを防ぐ役割もあります。
ダムから揖斐川に流す維持流量を活用して実施されています。
水の落差で水車を回して発電し、最大で一般家庭8万3千世帯分に相当する発電能力がるそうです。
ふるさとの消滅という代償
地元住民に恩恵をもたらすダムは、集落の消滅という代償を伴って出来上がりました。
ダムの建設予定地には八つの地区からなる徳山村がありましたが、建設に伴って廃村が決まり、構想が浮上して30年後の1987年には藤橋村に廃置分合されました。
466世帯、約1500人いた住民は揖斐川町、本巣市、北方町などに移転。
住民たちが暮らした足跡は、道の駅「星のふる里ふじはし」にある、徳山民族資料収蔵庫に残されています。
施設内には村内にあった小学校の看板や当時の住民の写真など、「徳山の山村生産用具」として国の重要有形民俗文化財にしていされた5890点が収蔵され、一部が展示されています。
従事者が多かった林業で使われていたノコギリや木材を運び出すためのソリなどの品々が並べられ、当時の生活を伝えています。
徳山村の暮らしを今に伝える徳山会館
ダム湖の湖畔にある徳山会館という施設があり、ここでも徳山村の様子を知ることができます。
村民の要望によって建設された徳山会館の一角には展示コーナーが設けられ、村の姿を撮り続けた増山たづ子さんによる写真や、試験湛水によって集落がなくなっていく過程の写真が展示されています。
中学生まで村で過ごした徳山会館の館長による解説も見ることができます。
徳山会館の外に出ると、徳山湖が眼前に広がります。
ここに至る経緯に思いをはせながら眺めれば、雄大な景色に深い感慨が得られるかもしれません。
おわりに
今回は圧倒的なスケールを誇る、徳山ダムについて書いてみました。
1957年に構想がもちあがり、2008年の完成まで51年。
およそ四半世紀の年月が掛かっているんですね。
このスケールの大きさに魅了されてしまいます。
また、山奥にあるため、普段は渋滞や信号がなく、ツーリングやドライブでも気持ちよく走れる道が多くあります。
秋には紅葉が綺麗ですし、ダム周囲の川では渓流釣りもできます。
ではまた!!